京都いろいろ裏通り

京都の大路小路のあれこれをお届けします。

足許の京都⑯ 京都タワー

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(大和大路に架かる跨線橋からの眺め)

 できたとき色々物議をかもした構造物だ。6キロほど南の伏見の自宅からも見える。9階建ビルの上に立つほっそりしたフォルム。胴体は白で先端は赤が入っている。寺のろうそくを想起させるとか言う人もいるが、公式には京都の都市を照らす灯台をイメージしたものなのだそうだ。

 東京オリンピックが開かれた1964年12月の54年前のオープン。東寺の五重塔より高いものは建てないという不文律をめぐって政財界の建設推進派と知識人の反対派との間で意見が割れたが、高さなどの法規制が及ばない「工作物」という玉虫色の解釈で決着したとか。

 今でも古都にこんな建物がいるのか、などと論議を呼んでいる。「五重塔」と比べるとやっぱり分が悪い。どちらも人が建てたものに違いはないけれど空海の時代にさかのぼるものと、東京オリンピックのときのものとでは根本的に佇まいの風情が異なるし、「タワー」だと、まとう気品やエレガンスが「塔」にはるか及ばないように思える。

 でも最近私の中で「タワー」に対する見え方に変化が生じた。

 先日東京へ日帰り出張した。夜遅く東山の隧道から新幹線が抜け出て右側の車窓から夜間照明に浮き上がった「タワー」が見えたとき、「ああやっと着いた」という感慨が湧き上がるのを覚えた。気が休まる光景だった。もうすぐわが家だとほっとした瞬間だった。「タワー」に対しこんな風に感じたのは初めてだった。

 どこまでもビルが続き高層建造物に圧迫感を覚える東京。見上げる空がビルの輪郭に切り取られ遠く狭く見える窮屈感。広い空と山を見て歩く京都住民の私。たった一日の東京でのビジネス。会議と打ち合わせは4時間ほどだったが、息苦しい肩のこる時間だった。

 だから、だろう。「タワー」に安心したのは。建物の歴史や佇まいの違いはどうあれ、いつも見える白と赤の「灯台」に対して、いつかしら、愛着を覚えるようになっていたのだろう。東京へ行くのにすら疲れやすくなった歳のせいだとは思いたくないが・・・。

 

f:id:abbeyroad-kaz:20180321104240j:plain夜の五重塔大宮通から)