京都いろいろ裏通り

京都の大路小路のあれこれをお届けします。

コロナで遠出は怖いので清水寺から八坂神社まで歩いた

f:id:abbeyroad-kaz:20200830171241j:plain

風鈴の音が身体を通り抜ける



 

同人誌の校了が終わりほっとして、といっても次の作品を書く気にもなれず、家で読書もいいが、クーラーを効かせた部屋でずっとというのも身体がおかしくなりそうだし、ということで町歩きに繰り出すことにした。
 清水寺に行く。ここ数日のニュースからたぶん人は少ないだろうとふんでいた。9時に京阪丹波橋から特急電車に乗り10分もしないうちに清水五条に到着した。

f:id:abbeyroad-kaz:20200830171356j:plain

茶碗坂はほんと人気がなかった


 五条坂を10分ほど歩くと大谷本廟の橋の前に出た。清水寺への道はその左手の五条坂の延長された道だ。途中、茶碗坂にわかれるがそのまま歩いた。朝早いせいか、ぼくを追い越す人も車も少ない。また坂を下ってくるものは何もない。土産物屋はやっと開いたばかりだ。そよとも動かぬ生暖かい空気が参道に澱んでいる。涼しいと思ったら開いたばかりの漬物屋の冷房の風だった。準備で葦簀を動かしたり値札を置いていったりしている。産寧坂との分岐にある七味屋はまだ閉まっていた。

 

f:id:abbeyroad-kaz:20200830171608j:plain

産寧坂 清閑として涼やかでさえある


 人通りは思った通り少ない。朱塗りの山門を抜け本堂の前で金を払い舞台に向かう。途中の廊下で音の林に紛れ込んだ。梁や枠木に下げられた数え切れないほどの風鈴が軽やかな音色をたてている。鋳物の風鈴だ。

 この世界文化遺産の大伽藍は音羽山の山中にある。堂宇は無論懸崖の上にどっしり構えている。これが谷底から風を呼ぶ。
 風鈴は南部鉄の釣鐘型のものだった。岩手の小学校の生徒らがなにごとかを祈った文字が書かれている。コロナ退散、地震被害からの回復、家族の幸せ、進学や病気快癒……。きらきらと輝きだしかねぬほどの美しい音に目を閉じていると涼風が身体を抜けていくようにさえ感じた。
 ※風鈴を中で打つ金具を舌(ぜつ)というようです。

 

f:id:abbeyroad-kaz:20200830171822j:plain

舞うほどに軽やかな音色を放つ



 修繕中の本堂。大屋根の方は終わったがまだ舞台を谷底から支える柱のほうはまだ幕が張られていた。工事は先行きまだ長そうな様子だった。

f:id:abbeyroad-kaz:20200830172035j:plain

屋根の吹き替えは終わった本堂

 地主神社阿弥陀堂、子安塔と回って三本の流れを落とす音羽の滝に降りた。ところてんやあんみつを食べさせる茶屋があったが客はいない。郵便局が赤の軽四を停めて切手を売っていたが局員は諦め顔だった。

 

f:id:abbeyroad-kaz:20200830172146j:plain

地主神社 恋占の石 目をつぶって向こうの石までたどり着けば成就するとか

f:id:abbeyroad-kaz:20200830172322j:plain

子安塔から本堂


 寺を出た。
 産寧坂、二寧坂と下って高台寺へと向かう。人力車の車夫が暇そうに木陰で休んでいた。
 暑い。地面を黒く塗り固めたような自分の影が丸く落ちていた。陽射しが首筋を灼く。セミの声が空気に張り付き膨らむばかりだ。

f:id:abbeyroad-kaz:20200830172426j:plain

産寧坂を見上げる 瓢箪屋に集まる若い客

 

f:id:abbeyroad-kaz:20200830172556j:plain

二寧坂 右手の蛇の目傘は変わらずある

f:id:abbeyroad-kaz:20200830172750j:plain

土産物屋のお面

f:id:abbeyroad-kaz:20200830172852j:plain

上りきると高台寺

八坂神社に入り拝殿で賽銭を放り込み素戔嗚命を祀る疫神社で手を合わえた。祇園祭は中止だった。毎年切符入りしたころにお参りに来るのだが今年はそういうこともあって今になった。
 昼飯は三条柳馬場にある「わたつね」で二八せいろそばを食べた。この店は二十年ほど通っている。

f:id:abbeyroad-kaz:20200830173005j:plain

円山公園のしだれ桜 おばけのよう

f:id:abbeyroad-kaz:20200830173109j:plain

八坂神社 拝殿

f:id:abbeyroad-kaz:20200830173231j:plain

八坂神社 石段から四条通りを望む