京都いろいろ裏通り

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京都市伏見区の明治天皇陵にも秋の気配が……

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明治天皇桃山御陵西参道

 9月13日(日)。午前中はエッセイ「こんな本を読んできた」の続きを書き(内容は村上春樹の「辺境・近境」を取り上げた)。てこずってしまい、終わったら昼1時を回ってた。

 

 昼飯に残っていた素麺4束を全部茹でて食べた。ぼくは素麺に目がない。長崎の島原のものだったがコシがあってわりといけた。ちょうど暑さも和らいで夏もいよいよ終わりそうな気配が現れた日に、季節の食材がきれいさっぱりなくなったのはいいリズムだ。


 とはいえ、外はまだ蒸し暑かった。ナマケモノでも寝そべっていそうな気だるさだ。しかし日課はこなさなくてはならない。


 階段トレーニング。


 ぼくにとって230段の階段をなん往復かするのはマラソンランナーが毎日何キロか決めて走るのと同じだ。コロナ禍で中断しているがライフワークの中山道歩きのためにのトレーニングだ。家から歩いて30分ほどのところに108年前にできた明治天皇陵がありその参道につけられたのが230の石段である。


 ザックに2キロのバーベルを突っ込んで出発する。ほんとうはもっと入れたいが今はまだ無理だ。歩きだすとその負荷を太ももの辺りに感じる。必要な部位に当たっている。いい感じだ。


 スピードを上げて歩く。だるっこい暑さだが雲が多く陽射しがない。歩きやすい。国道を超え伏見山の麓まで来た。山といっても標高100メートルほどの丘陵だ。山腹に開けた住宅街を抜けると参道に出る。

 砂利が敷かれた道の両側に杉木立が高く張り出している。曲がりくねった道だ。1キロほどもある。明治天皇が亡くなったとき東京での大喪の礼のあと棺は京都まで運ばれ、この参道を担がれて行った。

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                 230の大階段
 

 230の階段についた。展望が開けている。宇治市城陽市、さらに向こうの金剛山系まで見える。
 この景観を見下ろすようにしてあるのが明治天皇の墓である。上円下方墳が白木の鳥居三体の奥に座している。
 階段を下りる。ここはゆっくりと。春先に駆け下って膝を痛めたからだ。
 登り返す。バランスに気をつけながら丁寧に脚を上げ下ろしする。
 長い距離を歩き通すために必要なのは、そのスピードでなら歩き続けられる感覚を身体で覚えることだ。時速4キロを5時間持続できれば20キロ進むことができる。ちょうど京都から大阪までの半分、枚方ぐらいまでの距離だ。
 それは階段でも同じだ。膝に痛みを覚えずにこの階段を10往復できるようになるのを今目標にしている。
 6月末に腰を痛め8月の終わりまで長い距離を歩くことができないでいた。それが癒えブランクを取り戻そうとしている。
 最上段まで来た。身体は汗ばんで来たが流れ落ちるまで至っていない。
 きもちのいい汗というものに定義があるとするなら、額から汗がぽたぽたと落ちるぐらいの汗のかき方がぼくの理想だ。じわっとくる汗はすっきり感がない。老廃物が皮下で、肉の中で澱んでいる気持ち悪さが残る。
 水を飲み、また階段を下る。今度はすこし速めに。下に到着。そしてまた登り返す。額に首筋に汗が浮いたのを感じた。腕に玉となっている。息を乱さずペースを守り一歩一歩歩く。身体の上下動を押さえ腰骨が斜め上に進む感じで少しずつ上る。
 てっぺんについた。また水を飲む。下る。着く。また上る。汗がひっきりなしに落ちる。いい感じだ。しかし膝の裏がちりちりとしてきた。
 三往復で終わりにした。

 樹影の濃い西参道をジョグして帰る。蝉の声がまだ林間に満ちている。やかましクマゼミの声はなかった。ミンミンゼミの声があった、投げやりな感じだ。ミンミンミンまではいいがジーっと未練がましい響きを残す。すねた子供が後ろをむいて鼻を啜り上げているネクラな感じ。ツクツクボウシはすっとぼけた鳴き声をたてたあとジュジュジューで終わる。底に残ったジュースを全部吸い上げているような粘着性の音だ。土手の草叢から虫の声がした。

 若い女が二人、ふざけあって奥にむかっていた。ベトナムアオザイを緩めきったような流行りのワンピースを着たのが両手を水平に上げて一回二回と身体を回転させている。それを相方が写メをとっている。笑い声がした。回っている女の子のスリットから白い足が向き出ている。まっしろだった。樹間から差した陽光が太ももを照らし出している。

 影が長くなっていた。