京都いろいろ裏通り

京都の大路小路のあれこれをお届けします。

秋を感じて 東高瀬川を走る 20200927

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高瀬川 大信寺橋から南方面を望む 


 調子よく走れた。東高瀬川の土手に上がり宇治川まで行きそのままその堤を国道一号線まで走った。32分、約4キロ。
 僕は京都市伏見区に住んでいる。東高瀬川角倉了以が開削した高瀬川の脇を流れる川だ。江戸時代の人工河川の流量が減り近年になってつけられた。流れは琵琶湖を水源とする宇治川に注いでいる。北に京の鬼門を抑える比叡山愛宕山を仰ぎ見るランニングコースだ。


 ここ1年中山道歩きで履き倒したBROOKSのシューズを下駄箱から取り出し、靴紐を結ぶ前まで、走れるかな、どうかなと、億劫風に吹かれた。1週間ほど前は500メートルもたなかったから。
 そのとき呼吸が急におかしくなった。走り出すと胸の上らへんがきゅうっと苦しくなった。立ち止まって深呼吸し気持ちを整えてから走り出したが、首の付根から下あたりがきゅうっとなるのは治まらない。
 ひと月前の人間ドックでも肺にまったく異常はなかった。ネットで調べてみると狭心症などと恐ろしいことが書いてあった。いつもと違う点があるとすれば、2か月前腰を痛め、ろくにエクセサイズできなかったという背景がある。おそらくは運動不足が祟って肺とその周りの筋肉と肋骨のバランスがおかしくなっているのではなかろうか。素人の診断だが。


 今日一生懸命走って痛みが続くようなら医者にみてもらおう。ともかく2か月前までのように30分の持久走ができるかどうか試してみよう。
 いつ歩いてもいいようなスピードで走る。歩幅を小さく腕の振りも小さくスピードはまったく速歩きとなんら変わらない。まず呼吸が荒くならないように気をつけながら。
 スタートは大信寺橋。明治ご維新の内戦、いわゆる戊辰戦争薩長の官軍と会津新選組らの幕府軍が争った戦争がここ伏見で戦端がひらかれた。大信寺橋はちっぽけな橋だ。東高瀬川にかかる車すら通れない歩行者用の橋。こんな橋の土手でも戦闘があり大勢が死傷した。自宅からすぐ近くの場所で。150年以上も前の話。
 土手は2階建ての家の高さぐらいある。夏場は雑草がはびこり背の高さまで伸びていたが、上がってみると斜面もどこもかもきれいに刈り取られていた。陽射しに燻され乾いた土と草の匂いが立っている。青いバッタが2匹3匹飛んで回っている。斜面が丸坊主になって隠れ場所が見当たらないのだろう。
 伏見のランドマークのひとつ松本酒造の赤レンガの酒蔵と煙突は目と鼻の先だ。明るい空をバックに時代を越えてきた建造物がいぶし銀の渋さを放っている。
 走る。歩くようなスピードで。アンダンテ。ポコ・ア・ポコ。肺の痛みはまだなんともない。まだ1分も走っていない。風は追い風だ。どことなく身体が軽く感じられるのはそのせいかも。
 いや、しかし来た。痛みが。きゅーんと来た。呼吸がしにくい。喉の付け根らへんが軽く押さえつけられる感じ。何メートルか走る続けるがやっぱりだめだ。
 止めるか。
 しかし息はできる。吸ったり吐いたりする頻度と強さを和らげてみる。歩幅を小さくし極めて歩きに近いスピードで調整してみる。
 傍からみたらなんとのろまなランナーだことよ、とバカにしてみられているかもしれないが、そんなこと、どうでもいい。
 とにかく肺がおかしいのか、骨と筋肉がおかしいのか。見極めよう。
 走る。脚を交互に出して。ちょっとずつ、ちょっとずつ。
 東高瀬川の終わりが見えてきた。宇治川に合流する場所だ。合流地点はテトラポットのコンクリートが無造作に積み上げられ、水が落ちて泡立っていた。その上のハクセキレイシジュウカラなどがちょんちょんと跳ね回っていた。
 風の向きが横風に変わった。風は乾いている。今日は北風なんだ。身体が火照ってきた。背中にじわっと汗を感じる。顔の横を打ち付ける風が軽くまたひんやりとして感じる。そうだ北風だ。そのことが嬉しかった。つい先日までのじっとりと湿って重い南風が止んだのだ。
 走り出して15分が過ぎた、首筋を汗が流れる。額にも。走るスピードがすこし上がっている。無意識のうちに。そのことが不思議だった。調子が出てくるということはこのことなのか。と思ったときには胸の痛みもなくなっていた。呼吸に合わせ足が交互に出ている。呼吸と靴音と心臓の鼓動が適当にからみあって微妙なポリリズムを形作っている。整然と。これが自分の走るリズムなのだ。極めてアンダンテだが、気持ちいい。嬉しい。痛みがない。身体にどこも異常がない、なんて素晴らしいことなんだろう。
 この日はそのまま国道一号線の宇治大橋まで行き、家まで往復した。
 たった32分。しかし自分の走るリズムがつかめそうな感じがした。