京都いろいろ裏通り

京都の大路小路のあれこれをお届けします。

明智藪に行ってきた(20201103)

明智藪全体(切り株が目立つ台状の盛り上がりは小栗栖砦) 【1】山崎の合戦敗北から落ち延びる明智光秀 明智藪に行ってきた。明智光秀が山崎の合戦で敗れ近江の坂本城まで落ち延びる途中落命した場所である。京都市伏見区を東西に分かつ伏見山(標高約11…

台風一過。快晴と思いましたが曇り空。今日も走ってきました(20201011) 

三栖閘門(宇治川とその派流の河川交通を支えた産業遺産) 【1】早朝はなんとゴルフの打ちっぱなし 朝6時半からゴルフの打ちっぱなしに出かけた。1年半ぶりぐらいの地元の練習場。惨憺たる結果に猛省しながら帰ってきた。腕で振るからちゃんと当たらない…

秋深しということで今日も東高瀬川を走ってきた(20201003)

京都市伏見区 東高瀬川(大信寺橋から北をみる) (1)減量にはランニングのほうがよいか 大学の某同期が「ウォーキングでは体重落ちへんしな」みたいなことをフェイスブックで書いてて「だよね〜」などと返信しながら己を振り返ってみると事実そうなのだ。…

秋を感じて 東高瀬川を走る 20200927

東高瀬川 大信寺橋から南方面を望む 調子よく走れた。東高瀬川の土手に上がり宇治川まで行きそのままその堤を国道一号線まで走った。32分、約4キロ。 僕は京都市伏見区に住んでいる。東高瀬川は角倉了以が開削した高瀬川の脇を流れる川だ。江戸時代の人工河…

京都市伏見区の明治天皇陵にも秋の気配が……

明治天皇桃山御陵西参道 9月13日(日)。午前中はエッセイ「こんな本を読んできた」の続きを書き(内容は村上春樹の「辺境・近境」を取り上げた)。てこずってしまい、終わったら昼1時を回ってた。 昼飯に残っていた素麺4束を全部茹でて食べた。ぼくは…

夏の終りをさがして・・・暑いけれど京都四条三条を歩いてきた。

四条大橋から北の方を眺めた 京都はやはり絵になる。橋からの眺め、ビルの谷間にふと現れる神社、東山の佇まいが四条三条の繁華街の借景にすらなっている。カメラを構えてみたくなるオブジェに困らない。山河や伽藍の風情ももちろんいいが、古い町が新しいも…

デジャブな井伊家彦根城に行ってきた。

ひこにゃんといいのすけ ユネスコ登録への支持をアピール 彦根は城下町である。 ルーツは佐和山城にある。戦国時代、浅井長政が小谷城で近江の北部を支配下に置いていたときはその枝城であった。浅井家が1573年に織田信長に滅ぼされると信長の家臣丹羽長秀が…

コロナで遠出は怖いので清水寺から八坂神社まで歩いた

風鈴の音が身体を通り抜ける 同人誌の校了が終わりほっとして、といっても次の作品を書く気にもなれず、家で読書もいいが、クーラーを効かせた部屋でずっとというのも身体がおかしくなりそうだし、ということで町歩きに繰り出すことにした。 清水寺に行く。…

くそ暑いが大文字山を歩き下りてから南禅寺まで歩いた

大文字山 火床からの眺望 気温は36度を上回るかもというのに出掛けていった。大文字山に登る。標高462メートルの比叡山に連なる小峰。 京阪三条から蹴上まで歩き、ねじりマンポのトンネルを潜ってインクラインから登った。11時過ぎ。日向大神宮に付属したお…

近江・五個荘の金堂に行ってきました

五個荘金堂の町並み 6月20日(土)東近江の五個荘金堂を訪れた。今回が二度めだ。去年の夏にも来ているが、そのときは発作的に始めた中山道を東京まで歩くツアーの途中に立ち寄ったのだった(中山道歩きはこの3月に馬籠宿までいったところでコロナ禍の自…

ぶらっと伏見 (5)「伏見文化・観光の語り部」まもなくスタート  

<伏見の総鎮守の御幸宮神社拝殿の家紋:三葉葵、菊紋、五七桐が並ぶ> 謎 家紋はどこからきたのか 今日2月24日は朝から伏見区役所と伏見観光協会が主催する観光案内「伏見 文化・観光の語り部」のリハーサルがあった。伏見は豊臣秀吉以来の城下町で神戸の…

ぶらっと伏見 (4)伏見城へ行ってみよう 伏見城攻城戦にみる城郭の様子

(写真① 養源院前の駒札) 伏見に来るならお城に行ってみよう。 東山三十六峰は稲荷山で途切れるが、伏見と山科を結ぶ大岩街道を挟んで連続する低い丘陵に伏見城は立っていた。木幡山などと呼ばれたりするがここでは判りやすく古城山と呼んでおく。 今の城は…

ぶらっと伏見 (3)伏見城へ行ってみよう 秀吉時代の石垣を発見

<今日2月2日の伏見桃山城大天守 晴れた空に模擬城でも威容が映えます> 今日は秀吉の時代のものだと思われる石垣を目にすることができた。参道へはまっすぐ天皇陵へは向かわず、醍醐道(だいごみち)と呼ばれる桃山と山科・醍醐地域に抜ける江戸期からあ…

ぶらっと伏見 (2)伏見城へ行ってみよう

<洛中洛外図屏風(池田本)徳川時代の伏見城> ①伏見に来るならお城に行ってみよう。 町の中心大手筋商店街から東側に連なる低い丘陵(古城山)にお城が立っている。大天守と小天守の堂々とした構えである。遠くからでもよく見える。伏見のランドマークだ。…

ぶらっと伏見 (1) 京都・伏見の見どころやグルメスポットをご案内します

伏見桃山城(現在は模擬城、1963年築) 京都伏見ってどんなところでしょうか? 京都の伏見って聞くとピンとくるのは伏見稲荷大社でしょう。間違いありません。あの朱色の鳥居が何千体も延々と続く千本鳥居です。 陽に染まって輝く鳥居の幻想的な光景に誰もカ…

京都いろいろ裏通りのグルメ編 ちょっと行ってみようかな

すみません。まだ行ったことはありません。 居心地が良すぎて地元民なら連日昼から通い詰めるレベルなのだそう。(http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/akasaka/3350)

足許の京都⑯ 京都タワー

(大和大路に架かる跨線橋からの眺め) できたとき色々物議をかもした構造物だ。6キロほど南の伏見の自宅からも見える。9階建ビルの上に立つほっそりしたフォルム。胴体は白で先端は赤が入っている。寺のろうそくを想起させるとか言う人もいるが、公式には…

足許の京都 ⑮ 京都らしい風景

(写真上 鴨川四条大橋から北山を見やる) 京都らしい風景ってなんだろう、と時々考える。鹿児島なら桜島、富山なら湾からの立山連峰、大阪は道頓堀と通天閣、東京も同じくスカイツリーや東京タワーなどの構造物である。他、各地にいっぱい「お国自慢」「ら…

伏見はやっぱり伏水か? その②

伏見はやっぱり伏水か? 3日ほど前にアメーバブログで次のような短い記事を書いた。 「欄干の柱に刻まれている「伏水街道」とは「伏見街道」とよむ。橋は二間と短いが、紅葉千本で名高い東福寺を流れる洗玉澗に架かる橋である。 灘と並ぶ関西の酒処伏見。京…

足許の京都⑭ 静かな時

夜の産寧坂を歩きたかった。日中は足許やみやげ物屋のに気を取られ、高い声で交わされる会話に惑わされる。後ろから押されるように、上があるから上る坂。惰性で往来する石段。 夜の帳が黒々と下りるとき、坂の街並みは息を吹き返す。しもた屋は雨戸を閉ざし…

足許の京都⑬ 大和大路七条界隈

<写真は秀吉を祀る豊国神社> 大和大路通は南北の長い通りだ。北は三条通から南はJR京都線に突き当たって本町通とか伏見街道と名前を変えて南下、紅葉千本の東福寺の山門や伏見稲荷大社の朱の大鳥居を横目に進み、赤煉瓦の洋館の聖母女学院校舎(旧帝国陸…

今日もカレーを食べてしまった

食の好みは人の人生を映すというけれど、子供のときの母親の料理、仲間と連れ立って毎日のように食べに行った下宿近くのメシ屋の定食、結婚してから妻が作ってくれる毎日のご飯など、日々長く舌に刷り込まれ、自分なりに咀嚼してきたものだから動かしがたい…

日本史のツボ

昨日までに読み終えた本が日本中世史が専門の東京大学教授の本郷和人氏が書いた「日本史のツボ」(文春新書)。これまでの山川本に代表される通史や時代を絞った時代史やテーマを絞った各論史(最近では「応仁の乱」が大ブレイク)や京都本に代表される地域…

平安京は完成したのか

<写真 大極殿跡碑 上京区千本丸太町上ル西側> 言うまでもなく、今私たちが覚えている「うぐいす鳴くよ」の794年とは遷都の詔勅が発せられた年で、都市が完成した日でもないし宮殿たる内裏の落成記念日でもない。 その年に桓武天皇はどこで寝起きしてい…

やっぱり京都はいい。

二寧坂 京都に住んでいる人は他府県に出たがらない。生まれも育ちも大阪の私が結婚して京都に暮らし始めて間もない頃、そんな話を聞いたことがある。古ぼけてるな、と出不精を小ばかにしていましたが、京都に住まって二十余年、とうとう私も他所で暮らしたく…